2012年05月14日

看脚下

禅の言葉に「看脚下」という言葉がある

ちょっと引用しますが

昔、中国に法演(ほうえん)という禅僧がいました。その坊さんが、ある晩、3人の弟子を連れて寺に帰る時のことです。暗い夜道ですから明かりを灯さねば帰れません。その時、一陣の風が吹いてきて、その灯が吹き消され真っ暗になってしまったのです。一向はそこで立ちすくみます。その時、法演が三人の弟子達に向かって質問をしました。「暗い夜に道を歩く時は明かりが必要だ。その明かりが今消えてしまった。さあお前達、この暗闇の中をどうするか言え」と。

 ここで暗闇とは、自分の行く先が真っ暗になったということです。例えば、思いも寄らない災難に遭って、前途暗たんたるところをどう切り抜けていくかという問いです。

 そこで弟子たちが、それぞれ自分の気持ちを言葉に出して述べた。まず、仏鑑(ぶっかん)という人が「すべてが黒一色のこの暗闇は、逆にいえば、美しい赤い鳥が夕焼けの真っ赤な大空に舞っているようなものだ」と答えました。しかし師匠はうなずきません。

 次に仏眼という人が答えた。「真っ暗の中で、この曲がりくねった道は、まるで真っ黒な大蛇が横たわっているようである」と答えた。またも師匠は許しません。

 そして最後に、圜悟克勤(えんごこくごん)が「看脚下」(かんきゃっか)と答えました。つまり「真っ暗で危ないから、つまずかないように足元をよく見て歩きましょう」と答えたのです。この言葉が師匠の心にかない「そこだ、その通り」と絶賛したということです。


僕は看板好きなのでw 「看」とつく言葉を調べているうちにこの言葉に出会いました

看護婦とかも好きですけどねww

それはさておき・・・

ドラマとかでこういうシーン見たこと無いでしょうか?

「店が無くなる・・・このお店の看板を下ろさないといけないのか・・・そんなことはさせるか・・・俺の代で終らせてなるもんか」と看板を見上げる

きっとそこには思いがあり、原点があり、未来もあるんだろうなと

看板もそうですけど会社の屋号・・・また独立した日の事、最初のお客さんの事 きっとつらい時って思い出すもんじゃないですか?

そんなときやはり初心に帰るというか 足元を見るってもんでしょう

禅の話では足元さえ見えていれば先は見えなくとも転ぶことは無い 少しずつでも前に行く つまり困難があっても初心を忘れずがんばりなさい的な話でした(はしょりすぎましたか・・・)

独立起業したときの足元ってどこでしょうか?

原点・・・そこです いろいろな思いがあるでしょう 

看板を見上げて自分自身が原点を思い出すことが出来るのであれば きっとすばらしい看板な気がします

自分の思いが形になればもっとお客さんが来てくれます

今一度高く掲げた看板見てみてください

看板の「看」の字は足元を看ると一緒の字です

何度も言ってますけど「見る」や「観る」ではないんです看板は厳密に言えば表札や掲示板ではないのです(広い意味では一緒ですけど)

多くの人々に面倒を看てもらい、自分も初心を忘れずに足元を看る

それだけが人々に伝わればもっといいものが出来るような気がします


まとめ

看板を見上げて最初に来てくれたお客さんの事を思い出してみよう

そして今の自分も振り返ってみよう









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